偏愛断簡集

徒然なるままに綴る。

「日本人の思惟方法」中村元選集より、第3巻

なんとなく書棚を眺めて自分の嗜好や趣味に合いそうな本を見つけた時の喜びはなにものにも代え難い。普段はあまり注意深く見ない図書館の書棚を歩いていて本書を偶然見つけた。少し前にルース・ベネディクトの「菊と刀」を読んでいただけに、ちょっと興味を惹かれて借りてみた。
これが読んでみると面白く興味深い。中村によると、日本人の思惟方法の特徴は大きく以下であるらしい。

1.与えられた現実の容認
2.人間結合組織を重視する傾向
3.非合理主義的傾向

これら3つの大きな特徴は単に思惟方法に留まらず、言語や文化、宗教に至るまで多彩な面を見せている。その辺りをこれから整理していきたい。


1.与えられた現実の容認

a.現象即実在論
生きるために与えられている環境や客観的な条件をそのまま肯定してしまうことは、日本人の思惟方法のうち基本的な部分である。つまり、現実にある世界(現象世界)をそのまま絶対的なものとして、その現実を離れた境地に絶対的なものを認めようとする立場を拒否する傾向にあるのだ。これを明治以降の哲学者は「現象即実在論」と呼んだ。また仏教思想もこうした影響を強く受け、日本においては独自の発展を遂げるに至る。禅宗においてそれが最も顕著に表れている。鳩摩羅什サンスクリット語を「諸法実相」と訳したが、これは「私たちの経験する諸現象の真実の姿」という意味である。諸法と実相は異なった概念であるが、天台学では「諸法は実相なり」という解釈を成立させて、現象即実在論の立場を取るに至ったという経緯がある。これを道元は「実相は諸法なり」と逆転させる。この表現において、「もはや隠されているものは何も存在しない」となる。ここにも、現象をそのまま肯定し受け止める姿勢が伺える。

また日本人は自然を愛好する。とりわけ小さいもの優美なものへの尊重がある。また一般の動物も人間同様のものとみなす考えがある。例えば医学者たちでさえも実験のために殺した動物のために慰霊祭を行う。こうした習俗は西洋社会には見られない。
また釈尊の涅槃図においても、日本へ来ると鳥獣が多く描かれるようになっていくこともこれをよく表している。
日本人は一般的に自然を嫌わず、愛好し威圧的なものとは考えずに親しいものとみなしている。そしてこうした思考から、自然は人間と対立するものではなく一体となるものであるとの考えが生まれる。こうしたところに、日本人が自然を愛好する理由があるのではないだろうか。


b.現世主義
例えば世界の諸宗教は、現世を穢れたものとし来世を楽土として天国を理想とする。だが原始神道は、現世の価値をどこまでも認めている。「続日本紀」には前世と来世との中間を「中今(なかいま)」とし、今の生活に力点が置かれている。
日本の神話では未来については言及がない。古代日本人が死を恐れていたことは明示されていなかった。神話全体が、現世に愛着を持ち現世を重んじている。死を穢れとし、生のみを楽しんでいたのである。日本の原始宗教は、こうした現世主義にアニミズムシャーマニズム、人間結合組織を重視する傾向が加わり多様さを見せている。
さて、こうした風土に仏教が移入されてくるわけだが、こうした現世主義は消失してしまったのだろうか。むしろ日本人は大陸から受容した仏教を現世中心的なものに変容してしまったのである。奈良・平安時代を通じての仏教は現世利益を目指したものであり、祈祷呪術が主であった。近世になると現世主義はより濃厚になり、唯物論さえも生み出していくことになるのである。
日本人は仏教が渡来する以前より現世主義・楽天主義的であった。よって、現世を穢土とみなす思想は十分に根を下ろすことがなく、仏教で説かれる「不浄観」もそのままでは日本人には採用されなかったのである。それらは日常生活の実践の上に具現されなければならなかったのだ。
また厭世観も独特である。西洋でいう厭世とはこの世の生存が嫌になることであるが、日本人の場合は社会的な煩わしい束縛や拘束をうるさく思い離脱しようと思うだけなのだ。だから人間社会から遠ざかって自然に近づけば厭世観的な思いはなくなる。
世俗の事物に対しての強い愛着は、古代日本人に限ったものでないことは、私たち自身を顧みれば容易に気づくことができるだろう。


c.人間の性情の容認
ここまで日本人の思惟の特徴として、現実に対する肯定と、そこに絶対的なものを置こうとする姿勢を見てきた。
そして、与えられた現実的自然のなかで最も人間的であり直接的なものは人間的自然である。ここで人間の自然の性情を尊重するという傾向が現れてくるのである。日本人は外的で客観的な自然に対してあるがままの意義を認めようとしたが、同時に人間の持つ自然の欲望や感情もそのまま認め、抑制したり戦う努力をしない傾向がある。
例えばインドの原始仏教などでは修行者は人間の喜怒哀楽を消滅するのが理想とされてきた。むしろ感情を露わにするのは未熟であると非難された。だが日本において、日本的特徴の顕著な日蓮は「うれしきにも涙、つらきにもなみだ也……」と書いている。日本人はむしろこうした人柄に共感する。人間の感情を肯定する日本の仏教は享楽的な方面に流れる傾向があった。平安時代の修法は貴族にとって現世の快楽のためのものでもあり、宇治の平等院はそれにかなうものであった。「声尊き人々に経など読ませて夜一夜遊び給う」程度に過ぎなかったのである。
また近世仏教者のうちで民衆を仏教に広めた慈雲尊者飲光は、道徳とは「人間の自然の本性に従うことである」と説いている。だがこういう意味での自然主義は一般日本人の中では広まらなかった。反対に人間の欲望や感情を充足させる意味での自然主義の方が日本の仏教を支配することになったのである。
仏教の戒律をほぼ全面的に放棄した民族は東洋の他の国々には存在しない。日本人は特殊な閉鎖的な人間結合組織を固持しようとする傾向が強い。これと戒律破棄は矛盾するように思われるが、必ずしも矛盾するものではない。戒律は常識的な道徳とは一致しない。肉食や飲酒の禁止、結婚の是非などは人間結合組織の利害の維持という視点から見ればどちらでもいいことである。戒律は守らないが、閉鎖的な人間結合組織の利害に関しては献身的であるということは宗教者一般に見られる現象である。こうした態度から日本人は自然の欲望を肯定し、戒律を破棄しても、必ずしも道徳的秩序を捨て去ることにはならないと考えているといえる。
日本における精神指導の欠如の問題として、人々は口を開けば宗教家の腐敗堕落を云々する。それは宗教家のみの責任ではなくて、古来の日本人全体の思惟に基づいて起こった現象といえるのではないだろうか。このような思惟的特徴は他の領域にも認められるのではないか。


d.人間に対する愛情の強調
日本人は与えられた現実を容認し、それは人間の諸感情を容認し尊重することになって現れる。そして仏教思想と恋愛が結びつけて説かれているが、それは性愛や恋愛が宗教的なものと矛盾しないものとして考えられていたからだ。
人間的自然を尊重する思惟方法は、現実の人間に対して愛情を持って接することになる。現実の身体の意義が尊重されるとともに、日本の仏教では身体を労わる思想が顕著となった。
人間に対する愛情は、また戦争に対する観念の相違となって現れる。日本において戦争が済むと勝利者は自らの戦没者のみならず敵軍の戦没者の冥福を祈るということを行なっていた。これは平安時代中頃から、江戸時代にまでかけて行われた。敵も味方も戦没者をともに弔うというのは日本における特徴的な伝統であったのだ。
日本において愛情が強調される傾向は、日本民族固有のものであったのかはまだ詳細な研究を要する。おそらく慈悲の精神は仏教とともに日本に移入されたものであろう。人間に対する愛情は日本人の中に古来から存在する自然愛好と密接な関係があるだろうこと
も指摘しておきたい。


e.寛容宥和の精神
日本人は寛容の徳の著しい民族であると言われている。民族間の闘争が行われたことは事実であるが、その武力闘争が激烈なものであったという形跡は認められない。
このような社会事象の特徴に関連する思惟形態としては権力による支配服従よりも社会各員の間の親和感の方が顕著に現れてくる。日本人の各自の主観的意識の面で親和感・寛容の精神がある。古代日本の社会は祭事的な統率組織であった。社会の意識の面においては共同体的な親和感が全体に漂っている。この寛容な精神は罪ある者も深刻に憎悪するということがない。日本には古来残酷な刑罰が存在しなかった。
なぜ、日本人の間には寛容宥和の精神が著しいのか?それは仏教の影響によるのではないだろうか。平安時代に死刑が行われなかったのも仏教の理想が政治の上に具現されたためである。また現代でもかつて廃仏毀釈の行われた地方には近親殺戮の犯罪が多く、対して仏教の盛んな地方ではこうした犯罪が少ないという統計も示されている。だが、日本人の民族性に寛容宥和の態度があるために仏教が急速に受け入れられていった、と考えることもできよう。
こうした思惟形態は、浄土教をも変容させている。阿弥陀仏は念仏をする一切衆生を救うが、「唯だ五逆と正法を誹謗したものを除く」という制限がある。法然はこの文言を無視したが、浄土真宗では「悪人正機(悪人こそ救われる正当な資格がある)」の説が成立する。このような思想が一般に真宗の根本教義だとみなされたという事実は指摘しておきたい。よって、日本人は死人のことを「ほとけ」と称する。こうして悪人も死後には責任がないということになるのである。


f.文化の重層性と対決批判の精神の薄弱
日本人は、多様な外来文化をそれほど摩擦を起こさずに摂取した。そしてそれぞれの文化的要素に存在意義を認め、過去から伝承されたものをなるべく保存しようとする。異質な要素を並存させつつも、その間に統一を見出そうとするのだ。また言語においても外来語が多く見られる。このような歴は他に見られない。日本人は外国文化の摂取包容に極めて敏感であった。外国文化は日本文化の構成要素の一つとして摂取された。日本文化の重層性はこのようにして理解される。
また日本の政治においては徹底的な改革が行われることはなかった。一時代の支配階級がその後になっても陥落することはない。支配階級の間に政治的重層性が認められ、古い時代の支配階級は政治方面においては支配者的地位を喪失しても伝統的な貴さが認められ、古い文化的伝統の保持者、精神的権威として尊敬されたのだ。
また日本人は人間関係重視・非論理的性格により、徹底した批判対決の精神がないと評されている。芸術や文芸作品においても、観念的になるにせよ一つの理念を徹底させようとする気迫には乏しい。理論的な反省と徹底化がないことは、反面滑稽洒脱の態度となって現れる。川柳や俳句その他種々のものを持っている。
日本人は外国から移入したものであれば仏でも七福神でも区別なく嘲弄する。だが祖先の神を嘲弄することは決してしない。ここに、日本人の間における宗教的自覚の弱さと、人間結合組織の重視的・系譜偏重思惟傾向がうかがえる。