偏愛断簡集

徒然なるままに綴る。

第8講 悲しみをわかちあう 金子絵里乃

社会福祉学というと、どうしても高齢者や介護について学ぶものであるとのイメージが先行する。だが、社会福祉学の根底には一人一人の命を尊ぶという価値があり、孤独な人や苦悩している人、人との繋がりや生きる気力を失いつつある人、援助に繋がりにくい人などに目を向けるものである。そして、そのような人々がどのような生活をし、どのような苦悩を抱え、何を必要としているのかを考える学問である。社会福祉学とは限られた人のことだけでなく、生きている全ての人について学ぶものであるのだ。

本講では、大切な人を失うことによって体験する悲しみについて、特に子供を亡くした人の悲しみとはどのようなものなのか、そして同じ体験をした人と人が悲しみをわかちあうことが本人にとってどのような支えとなるのかを取り上げる。
人が自分とのつながりのある何かを喪失した、喪失するかもしれないと予感した時に体験する悲しみの反応を「グリーフ」という。元々は「重い」という意味を持つラテン語(gravis)に由来し、「心が悲しみで重くなる」という状態を示す言葉として用いられていた。日本語では「悲嘆」と訳されており、悲しみを専門的かつ理論的に表現した言葉である。
グリーフは十人十色であり、亡くなった人との関係性や繋がりの深さ、亡くなった原因や死別した人の性格や年齢によって違いが見られる。またグリーフを体験する時期や期間も様々である。死別した時と同じような状態が続くようなことはなく、グリーフは形を変えて変化していく。何年たっても体調を崩したり落ち込むようなことがあり、心身の変化に本人がびっくりすることもある。
このように大切な人を亡くした人が新たな生活に適応するには「喪失の現実を受け入れる」という課題に取り組むことが必要になる。こうした悲しみの中にいる人の支えとなっているのが、同じような体験をした人の存在であり、その悲しみを「わかちあう」ことなのだ。
この悲しみをわかちあうものの中には「共存する」「共有する」「共生する」という三つの要素が含まれている。
だが、同じ体験を持つ人同士であっても、その原因、性格や年齢などの違いによって温度差が生まれ悲しみが深まることもある。また死別は生活の変化を余儀無くされるため、1人での生活が困難な人の場合などは援助者による早急な援助が「わかちあい」よりも必要になる場合がある。わかちあうことは、ケアの1つであることも理解しておくことが大切なのである。